慈園(jion)の微笑み日記

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zoom RSS 慈園の一言法話「人は死んだらお終いか」

<<   作成日時 : 2017/03/22 00:19   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 186 / トラックバック 0 / コメント 45

三連休は、比較的良いお天気に恵まれましたね。

皆さまはどこかお出かけになられましたか?

私は友人のご主人の四十九日法要にお参りいたしました。

有縁の方々が30名近く集まって下さり、あらためて亡き人の面影を

偲びました。


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故人は歯科医師(享年82歳)でした。10年ほど前から病院は息子さんが

あとを継いでいらして喪主も務められて、立派にお役目を果たされてい

ました。

お経は浄土三部経『仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経』で

結構長い。

その間に休憩(お茶タイム)が入ります。


その時の息子さんの話です。

「私は父が亡くなるまで、人は死んだら心臓が止まり、肉体は滅する。

それで全てが終わりだと思っていたんです。

ところが、父が亡くなって、こうして四十九日まで七日毎のお逮夜参りを

してきて・・・、私はどうも、人は死んでも終わりではないのかも知れないと

思うようになったんですが・・・」 少し戸惑い、困惑気味に話されました。

彼の年齢は50歳ぐらいでしょうか。

先生は、いま、死んでいくことの意味、人生の意味を問わんとしておられる

のですね。

これこそ、亡きお父上が身を持って息子に示された、「生きることの意味」なのです。


画像




そこで皆さんにちょっとお考え頂きたいのです。

皆さんは「人は死んだら全てお終い」と思っておられますか?


だれ一人として自分の死を経験したことがないでしょうから

明確にそれを語ることはできませんよね。

しかし仏教には、もともと「死んでも終わらない」という事実を踏まえての

「浄土の教え」というものがあります。



人は必ず死ぬということは誰でも知っていますね。

生体が死体に変わるという〈死〉は、肉体という物質の現象的変化の

上でのことをいっているのです。

つまり、私たちの身体は物質で出来ていることが科学で証明されています。

物質とは、分子、原子、この原子も陽子、中性子、電子と、小さな粒から

成り立っていることが分かりました。

その後、科学はその物質の究極を追い求めて行った結果、そこにあったのは

物質ではなくて、さまざまな波長の電磁波、あるいは光としか言えないような

エネルギー
だったということです。

あらゆる生物は常に目に見えないほどの弱い光を身体から出している」と

云うことも、近年の研究で明らかになりました。


さて、「死んだら終わりか、終わりでないか」という問題は、要するに「魂が

在るか無いか」という話になるかと思います。

これに関して仏教の祖、釈尊は直接の明言を避けられています。

仏教は死後の教えを説くのではなく、現世を生きる我々にいかに生きるべきかを

示す哲学なのですね。



「魂」を示す事例では、皆さんも一度は聴かれたことがあると思いますが

「幽体離脱」という現象で使われています。



「体外離脱」の体験をした方々に聞き取り調査をして自分の見解を述べた

立花 隆さんの 著 『臨死体験』

  *臨死体験=死の淵から生還した人が、あの世とこの世の狭間で得た

           様々な不思議な経験のことです

元、東京大学大学院医学部付属病院・集中治療部部長で現在は

東京大学名誉教授でもある矢作直樹(やはぎなおき)さんが臨床医の頃

生と死をみつめる現場での数多くの経験をもとに『人は死なない』『お別れの作法』他

の著書の中でもそのことを書いておられます。


このお二人の共通点は、ともに東京大学卒で、宗教者ではないという点にあり

評論家・ジャーナリストと、医師であり東大の教授という権威ある仕事に就いている人

というところに注目出来るかと思います。

興味のある方には一読をお勧めいたします。




ここでは、その事例の詳細は省きますが、大切なのは「臨死体験」の中で出会う

共通の経験、「光の世界」に入ることです。




実は、これは私たちが「お経」を通じて知っている「西方極楽浄土」の情景と

そっくりなんですね。

「浄土の教え」と「体外離脱」の光の世界が類似している点に注目します。


極楽西方浄土は「阿弥陀如来」のお浄土ですが、「浄土の教え」は

この世(現世)で阿弥陀さまの「慈悲の光」を身に浴びるための教えなのです。

『仏説無量寿経』の中に「阿弥陀仏の放つ光に包まれた者は、喜び溢れ、おのずから

身も心も和らぎ、優しくなる」と書かれています。

画像



実は私も、この光に包まれるという体験をした一人ですが、その時は、阿弥陀如来の

「慈悲の光」と知る由もありませんでした。

それは、仏教を学ぶ以前の出来事だったからです。


不思議なことにその後、私は死を恐れなくなり、人格が変わり、生き方が変わりました。




それで具体的に、人生がどう変わったか‥‥

これは文面が長くなるので、皆さんには上記の二者の著書を読んでいただくこととし

ここでは略させて頂きます。

では、どうすれば、そのような「慈悲の光」の中に入ることが出来るのか…

一つは私のように、深い臨死体験をすることですが、これは生きるか死ぬかの

瀬戸際まで行った人に偶然起こる出来事で、体験しようと思って出来るものでも

ありません。


もう一つ、仏教では瞑想・座禅の修行があります。浄土の教えではお念仏です。

一般社会でも、瞑想や座禅はブームになっているようですね。


深い瞑想の中で開けてくる世界は、「死後の世界」とつながっていると

わたし自身は確信しています。



「死は終わりではなく、お浄土への通過点、始まりである」と考え、今、自分の

置かれた場所で精一杯努力すること。

そして、成すべきことに精根傾けて輝く人生を送ることが大事なことのように思います。

その上で、この世のいのち尽きれば、お浄土に還り、仏のいのちを生きさせていただく

と考えれば、死んだらお終いと考えるよりも気持ちが明るくなりませんか?

そして、あちらの世界で、また会いたい人にきっと会えるような気がしませんか?



『仏説阿弥陀経』に説かれている、「倶会一処」の世界がそこにあります。


画像





長い文面を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

心から感謝申し上げます。       

                   合掌































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ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)

コメント(45件)

内 容 ニックネーム/日時
貴重なお話、ありがとうございました。
我々が日常ご仏壇に手を合わせたり、お彼岸やご命日にお参りするのは、無意識のうちに彼の世界を感じているのかもしれませんね。
アメリカではホスピスケアーでチベット仏教の書が使われたりしている様です。
瞑想は心の寂静を得るのに、静かなブームのようですし、面白い事にアメリカの高名な医師が推奨しているケースも何例か見ました。
重ねてありがとうございます。
ヤス
2017/03/22 08:49
こんにちは<m(__)m>
私事で恐縮ですが、先週母の四十九日を済ませました。
その亡き母も臨死体験した人でした。
心肺停止に一瞬なった経験があったと聞いています。

両親を亡くし、鼓動は消えましたが魂が私の心に宿っているような気持ちがするのです。
どういえばよいのか。。。安心感。一緒にいる安堵感。
大変安定しています。
両親の位牌に話しかけまくってます(^_^;)
相談もしますし、食事も一緒。何なんでしょう。
一緒に暮らしてる感が強いです。

私もこの世を去る時が来ますが、お釈迦様に会えるでしょうか。
winga
2017/03/22 13:13
こんにちは。

三連休でしたね。
大阪は暖かかったです。

人は死ぬとどうなるんでしょうね。
ずっと考えていることです。
普通に考えると、肉体も脳も何もかもなくなってしまうのだから、
幽霊になって動くことなんか出来るわけがないとか思うのですが、
人それぞれ色んな解釈がありますね。
魂というものが存在しても脳がないから意思はないのだとは思いますが、それは考えようによって色々な解釈が出来ますね。
今時分が生きているので、何もかも無になってしまうのは信じられないですね。
トトパパ
2017/03/22 14:30
( ◠‿◠ ) ヤスさんへ

ヤスさん、いつもコメ寄せて下さってありがとうございます。

≫我々が日常ご仏壇に手を合わせたり、お彼岸やご命日にお参りする
のは無意識のうちに彼の世界を感じているのかもしれませんね。
 おっしゃる通りですよ。昔からご先祖を大切にされてきたお家は
それが自然でしたよね。

≫アメリカではホスピスケアーでチベット仏教の書が使われたり
している様です。
 そうでしたか。チベット仏教は仏陀の教えが忠実に伝わって
いると思います。とてもいいことですね。

≫瞑想は心の寂静を得るのに、静かなブームのようですし、面白い事に
アメリカの高名な医師が推奨しているケースも何例か見ました。
 瞑想は、集中力が高まり、気持ちが前向きになってやる気が湧いて
きます。反対に心がざわついている時は静まる面もありますね。
座禅も同じですが、フランスでも盛んに取り入れられているようです。

 


慈園
2017/03/22 18:04
( ◠‿◠ ) wingaさんへ

お母様の四十九日無事済まされてホッとされた
ことでしょう。お疲れ様でした。

まぁ〜!お母様も「臨死体験」を?・・・
百人に一人ぐらいの比率と聞いています。

≫両親を亡くし、鼓動は消えましたが魂が私の心に宿って
いるような気持ちがするのです。
 そのお気持ち、よく分かります。
生前よりも亡くなられてからの方が、よりwingaさんと
身近になった感じがするんでしょうね。
それは身体があることによって物理的に隔たっていた
時間と場所がなくなり、お互いの想いが即届くのです。
お母様とご一緒で安心ですね。心が落ち着きますね。

キチンと仏事を勤められて、wingaさんご立派です
真言宗でしたかしら?
み仏(大日如来)の光に手を合わせ、こころの底から
お念仏(真言宗はご真言?)してください。
きっとお導きがあります。
この世でお釈迦様にも大日如来にも会えますよ(ニコッ(*'▽'))
慈園
2017/03/22 18:37
こんばんは。
肉体はこの世から無くなってしまいますが魂は傍に居てくれるんだと思います。
如何してそう思うのか?と聞かれても上手く説明は出来ませんが写真に話しかけて答えが返ってくることは無いのですが安心感があるのです。。。
きょんたん
2017/03/22 18:42
慈園さんの講話〜
心に穏やかに響きます〜ありがとうございます〜
我が家は神様ですので、御霊様ですが〜
20日霊祭に参拝してまいりました〜我が家では
毎朝神様にお参りし父母との会話はしておりますが
〜親に心配ばかりかけてきた私は泣き顔ばかり〜
見せてはいけないと思いながらも、どうしても
未だに感謝と懺悔の念で涙が溢れて止まりません〜〜
悲しいかな今更悔やんでみても何も出来ないのに〜
心配かけない様に〜生きて行かねばと思いながら〜

〜死者を二度再び死なせてはならない〜そんな言葉を
頂いたことがあります〜人間の個体は無くなっても
その人の魂心は今を生きている人の心に生きている
その心を粗末にしたり蔑ろにしてしまったり
してはその人は浮かばれない〜死んでしまう〜
心の中に生きている人を死なしめてはいけないと〜〜
曲がった事の大嫌いな父と心の綺麗な(父の口癖)母に
今も見守られ導かれていると感じられる私は幸せ者〜
果たして子や孫達にそんな風に思ってもらえるだろうか?
そんな父母の様になりたい〜近づきたいと願いつつ……
父母にただただ感謝感謝の日々を生きております……
慈園さんに、私事を聞いて頂きまして〜
ありがとうございました   長くなってごめんなさい〜
miki
2017/03/22 18:52
( ◠‿◠ ) トトパパさんへ

トトパパさん、いつもコメありがとうございます。
今日はまだ少し外の風は冷たかったですが
車の中だともうすぐ冷房?(笑)
17度ほどありました。

トトパパさんも、死ぬとどうなるか?考えて
いらっしゃるんですね。
≫普通に考えると、肉体も脳も何もかもなくなって
しまうのだから、 幽霊になって動くことなんか出来るわけが
ないとか思うのですが、人それぞれ色んな解釈がありますね。
 
 おっしゃる通りですね。人はそれぞれ色々な解釈をします。
人は生まれることも死ぬことも、何一つ思い通りに出来ないはず。
自分のいのちは自分のものであって自分のものでないのです。
それなのに自分なりの解釈をしようとします。


≫魂というものが存在しても脳がないから意思はないのだとは
思いますが、

 脳がないというのは真実でしょうね。
やはり、この問題は死んでみないと分かりませんね。
死んだらむになるというのはやはり寂しいですね。


慈園
2017/03/22 19:10
こんばんは。
「仏教は死後の教えを説くのではなく、現世を生きる我々にいかに生きるべきかを示す哲学」と言うお話になる程、と深い感銘を受けました。
生きて行く、行かなければならない現世の励みになる言葉でもあると思いました。
私の曾祖母は98才で亡くなりましたが、その前に一度死にかけた事があります。
気が付いた時に私達に「と〜っても綺麗な花が一杯の所に居た」と言った話を思い出しました。
実は私の夫の実家は天理教なのですが、分家の身で数年前に私達のお墓を新しく建てました。
私達の代から始まるお墓ですが、夫は宗教にはこだわりが無く私も自由に選んでも良いかな、と思っています。
天理教の教え自体は好きなのですが、輪廻転生の教えで仏教の彼の世とはちょっと違う様な気がします。
私はやっぱり両親や身内の居るであろう彼の世に行きたいとこだわってしまいます。

イエヒ1号
2017/03/22 20:08
色々と貴重なお話をありがとう御座いました
私自身は仏教についての法話など余り聞くことも無く過ごして来たので色々勉強になりました。ありがとう御座いました。
主人が亡くなってもう直ぐ4ヶ月が来ますが 主人が私の行く所へ付いて来てくれているようで寂しい感じがしないのです。私って薄情なのかしらと思っています。
亡くなってからは主人を身近に感じられるのです。
私の行動を見守って呉れて居る気がしています。
お陰で元気で過ごしていられるのかな。
もこ
2017/03/22 20:40
( ◠‿◠ ) きょんたんさんへ

こんばんわ♪きょんたんさん。
≫肉体はこの世から無くなってしまいますが魂は傍に居て
くれるんだと思います。

 そう思えるきょんたんさん。言葉で説明はいりません。
「安心する」それが全てです。気持ちが落ち着きますね。

感謝すること。
前向きに生きること。
大事になさって下さいね。






慈園
2017/03/22 21:01
慈園さん
こんばんは。
心に残るお話有難うございました。
この歳になるとやはり死を時々考えるようになりました。
死ですべてが亡くなると言うのは、寂しすぎます。
向こうの世界があると思いたいです。
kimie
2017/03/22 21:41
( ◠‿◠ )イエティ1号さんへ

こんばんわ、イエティさん。
お越しいただきありがとうございます。

仏教はいかに生きるべきかを問う宗教だと結論づけ
それが励みになると言って頂き、大変嬉しく思います。
曾祖母様はお花畑に行かれたのですね。
よく聞くお話です。
私は金色の光の中に入りました。

ご主人様方は天理教ですか。
山中みきさんの「陽気暮らし」でしたかしら?
輪廻転生は仏教の教えにもありますが
イエティさんはそこが引っ掛かるところなのですね。

≫私はやっぱり両親や身内の居るであろう彼の世に
行きたいとこだわってしまいます。

 おっしゃっている思いはよく分かります。
そう思っていることが大事です。
肉体は魂の入れ物です。徳を積むことが
唯一必要なことですね。



慈園
2017/03/22 23:01
こんばんは!
貴重な法話興味深く読ませて頂きました。死後何もかもなくなるとは思っていません。私も臨死体験をした知人がいます。青空と綺麗なお花畑にいたと聞きました。とても心地良い場所だったそうです。その話を聞いて死というものが怖いものすべてがなくなることではないと考えるようになりました。
我が家は浄土真宗です。あまり信心深いとは思いませんが、両家の両親のお墓参りはお彼岸とお盆と正月の4回は必ず、その他に思いついた時です。手を合わせると魂が傍にいて見守っていてくれるようで、何か安心感があります。
いずれこの世を離れる時は来ますが、向こうで大切な人に会えることを信じています。
eko
2017/03/22 23:13
( ◠‿◠ )mikiさんへ

mikiさん家は神道ですね。
ご両親の思いを胸に反省も含めて毎朝神棚に
お詣りされているのですね。
掛替えのない人を失くして、人間は色々悔やむことも多いですが
mikiさんもそうなんですね。
でも、ご両親は今もmikiさんが悔やまれることを
望んでいらっしゃるでしょうか?
反対に、心配かけないようにと思っても親はいつまでも
子供のことを心配します。自分を考えてもそうですね。

曲がった事の大嫌いなお父さまと心の綺麗なお母さまは
気持ち大らかに彼の地でmikiさんのありのままの心を
受け止めていらっしゃるはず。
おっしゃるように、ご両親に感謝して日々、明るく生きて
生きましょう。私もあとに続きます
慈園
2017/03/23 12:06
( ◠‿◠ )もこさんへ

もこさん、慈園の法話を聞いていただき有難うございます。

ご主人様とお別れされたばかりのもこさんには
是非、お伝えしたかったことです
ご主人様が、常にもこさんのお傍にいらっしゃるんですね。
安心しますね。

お釈迦様は、「人間は身体があるばかりにそれによって「苦」が
生ずる」。と言っておられます。
この世で生きる苦しみの一つです。
ご主人が他界されて、より身近に感じられるのは
もこさんが意識をそちらに向けられると、即ご主人と
繋がるからなのですよ。
常にお話をなさって下さい。いつも見守っておられます。
ご主人のご両親にも会ったこともないそのまたご両親にも
子や孫たちに命を繋いでくださった全てのご先祖さまに
感謝して、日々元気にお過ごしくださいネ。
慈園
2017/03/23 17:49
( ◠‿◠ )kimieさんへ

こんにちわ、Kimieさん。
慈園の法話をお聞きくださり、コメント頂きまして
有難いことでございます。

いつ何があってもおかしくないのが「いのち」です。
歳と共に死を考えるようになるのが自然ですね。
「生死」は人間の計らいを超えたところに存在します。
だからこそ、この身をお預けしなければならない時が
やって来ます。
向うの世界が穏やかで慈悲に包まれたところであれと
願うなら、この世でも出来得る限りそのように暮らす
努力をいたしましょう。
人は生きてきたように死んでいきます。
慈園
2017/03/23 18:05
( ◠‿◠ )ekoさんへ

ekoさん、こんばんわ。
コメ返有難うございます。

ekoさんも「臨死体験」されたお友達の話から
死後の存在をお認めになったのですね。
科学一辺倒で育ってきた私たちですが、親やそのまた
親の時代から彼岸のお墓参りや、お盆の行事を
大事にしてきた人たちはあの世を信じて暮らして
いたと思います。
目に見えない、科学で証明できないから、あの世は
ないのではなくて、あるかもしれないと思うことが
救いになるのですね。
ekoさんがおっしゃっている
≫手を合わせると魂が傍にいて見守っていてくれるようで
何か安心感があります。
…が、まさにそうではないでしょうか?
あちらで大事な人に会えることを、浄土真宗の『阿弥陀経』が
教えてくれています「倶会一処(くえいっしょ)」ですね。
EKO家の良き習慣をどうぞお子様たちに相続していただき
ご家族仲良くお過ごしください。

とても良いお話を聞かせていただき、私も
うれしく思います。ありがとうございました。

慈園
2017/03/23 18:31
こんばんは。
とてもありがたく拝見しました。
肉体はなくなるけれども、
魂はずっと生き続けると思っています。
慈園さんのお話を拝見してなんだかホッとしました。
ひぽたん。
2017/03/23 19:34
( ◠‿◠ )ひぽたんさんへ

こんばんわ、ひぽたんさん♪
こちらこそコメントありがとうございます。

≫肉体はなくなるけれども、
魂はずっと生き続けると思っています。

ひぽたんさん、そう思う方がずっと気持ちが
落ち着きますよね。
世界各国で著名な学者や医師が「臨死体験」の
見解を発表しています。
また、私たちが気づかないだけで、我々は、み仏の
光の中に包まれているのです。
あらゆる全てのものに感謝して、日々元気に明るく
生きて行きましょうね。
慈園
2017/03/23 22:15
死別を早めに、しかも複数経験いたしますと、いろいろと不思議な体験や感覚を味わうことがあります。友人の父親が亡くなったときには、すでに落ち着いた頃、お父様から内線電話で、電話があったようです。(ビルオーナーでしたので、家族が別の部屋で、内線電話を使っています)
その通話は、空き部屋になった、父親の部屋の通信記録で証明されています。

グリーフケアの友人は、声が録音されていたり、写真に映ったりしています。
私も写真には、映り込んだものがあります。
真夏の暑いベランダで、春にしか咲かない花が、一輪だけ咲いたり、公言するには躊躇するようなこともありました。
たしかに何かがあるようですが、怖い話ではなく受けとめています。
無になるのではないということを感じるからです。
一番怖いのは、存在がなくなることです。

妻が存命中から、慰めでない言葉を贈っていました。婉曲した表現でも、死に対する恐怖を和らげるためでした。それが本当かどうかは、いずれ、自分自身で経験することでしょう。

私が頑張れるのは、次があるということです。このことはどんなことでも、次が無いわけでは無いという考え方です。
自然に自分を守るような考え方が、出来上がってきたのかもしれません。
諸行無常はずっと、体験しています。
残りの人生を、丁寧に生きられればと思っています。
いつも、ありがとうございます。
ベランダ悩夫
2017/03/23 23:07
人は死んだら火葬して灰になってお終い
というのが一般的な考えですね
生きてる人間の目には見えない
何かしらの不思議な空間も存在しているようです
魂もどこかで彷徨うか生まれ変わるか
というのが最近になっての考えでしたぁ
生の終わりにしても喜怒哀楽があるので
なかなか理解が難しいこの頃です
(  ̄〜 ̄;)ウーン…
るなまる
2017/03/23 23:40
こんばんは!
死んだら終わりか、死後の世界があるか…
私にはよくわかりません
臨死体験もしたことがありませんし…
でも、亡くなった伯父さんの声を聴いたことがあるし
家の中で不思議な影を見たという母親の話もあるし
だから亡くなった後、無になるということは
きっとないんじゃないかと漠然と思っています
佐藤愛子さんの本の中でも死後の世界のことが
書かれていました
やはり、死ということとどう生きるかということは
対のようになっているのだと思います
そして漠然と慈悲の光の中に入りたいし
包まれたいと思うのですが…
自信はありません…
いつも有難いお話をありがとうございます
すみれ
2017/03/23 23:47
( ◠‿◠ )ベランダ主夫さんへ

こんにちわ、いつもコメントありがとうございます。

とても不思議なお話を聞かせて頂きました。
でも、人間の計らいを超えたところに生死は
存在しますから何があっても驚けません。
素直に受け止めさせて頂きます。

奥さまが闘病中のベランダ主夫さんのお気持ち
如何ばかりかとお察しします。

≫私が頑張れるのは、次があるということです。
このことはどんなことでも、次が無いわけでは無い
という考え方です。

 とても前向きなお気持ちですね。
心が折れないよう必死に頑張られましたね。
お釈迦様も「人生は苦である」と悟られました。
そこから、人がどう生きれば幸せになれるかを
多くの言葉にして私たちに示してくれています。
おっしゃる様に、自分の人生ですもの丁寧に生きて
生きましょうね。
こちらこそ、ありがとうございます。
慈園
2017/03/24 13:50
( ◠‿◠ )るなまるさんへ

≫人は死んだら火葬して灰になってお終い
というのが一般的な考えですね

 ホントにそうですね。
でも我々の祖父母の時代以前は、あの世があると
信じていた人が大勢いましたね。
だから死者は丁寧に葬り、ねんごろに供養しました。
今は違いますね(笑)
ただ、私たちの想像のつかない「大きな力の働き」が
あることも認めないわけにはいきません。
私たちは、自分が生まれてくることも死ぬことも
自分の自由にはなりません。

≫生の終わりにしても喜怒哀楽があるので
なかなか理解が難しいこの頃です

おっしゃっていることよくわかります。
仏教を深めていくと意識(こころ)の不思議が
体系的に少し理解できるようになりました。



慈園
2017/03/24 14:03
( ◠‿◠ )すみれさんへ

すみれさん、あらためてコメントお寄せ
くださったのですね。
心からお礼申しあげます。

死んだら終わりか、終わりでないか?
よく分からない。
本当にそうだと思いますよ。
誰も死んで生きて帰った人はおりませんので。
あくまでも臨死体験はそれだけのものです。
ただ、この体験は不思議にも、皆さん殆ど同じように
お花畑とかに行くようです(笑)
大事なのはその体験後、生き方が良い方向に変わり
いのちの真実を知って、慈悲心を持って人の為に
尽くして行く。というところへの転換が見えなけ
ればなりません。
それは深い臨死体験で光の中に身を置くよりほか
ないのです。
これはしようと思って出来ることではないし、身の
危険もあるようです。
あなたもおっしゃっておられますが、「生死」は
一つです。これを仏教では「生死一如」と言います。
殆どの方は、生と死を分けて考えられて、「生」は
良し、「死は」忌み嫌います。
これでは人生を幸せに生きることが出来ません。

ごめんなさい、長くなるのでこれくらいで終わり
ますね。
またの機会にお話し出来れば嬉しいです。
すみれさん、お元気でね。



慈園
2017/03/24 14:27
 今年は 何時までも寒い日が
続きます でも陽射しは明るく 春ももうすぐですよね

お彼岸で 私もお墓参りに行きましたが
次の世代に続いていくかどうかと思います
でも 不思議なことに 自分の年が老いてくると
自然と お墓の方に足が向いてくるように
思います 自分の両親も三男でそう信心深い程では
無かったけれど 老後はよく行っていたようです

やはり人は ずっと祖先から 命が続いてきて
今ある自分が居るという事だと思います
子供の頃は 生きているのが当たり前のように
思っていたけれど 病気や苦難を乗り越えた時
自分の 命や幸せな状態に感謝するようになりました
そして この命ある時間を 無駄にせず
大切に使おうと思っています

だから 興味ある事には 進んで実行するよう
心掛けています 自然の美しさには感動し
動ける時には運動して 少しでも元気に
年老いていけるように 毎日を過ごしています
寝たきり状態で 周りに迷惑かけながら
長生きしたいと思いません そして
何事が起きても その状態に任せ
時が来たら無理せず受け入れ
後悔無い生き方がしたいと思います  
R子
2017/03/25 12:16
( ◠‿◠ )R子さんへ

お墓参りが次世代に続くかどうかは疑問ですね。
子供が返ってきた時、最近はお墓のこと話すように
なりました。

人は病気や苦難に出会い、人間が出来て行くのだと
思います。
R子さんご夫妻は常に前向きで、好奇心旺盛ですから
きっと悔いなく人生を謳歌されていくことでしょう。
少しでも元気に老いられるようできる限り身体を動かし
おっしゃる様に、来るべき時が来たら悔いなく受け入れ
皆に、あらゆる全てのことに感謝して旅立ちましょうね。
慈園
2017/03/25 15:40
死んだ先のことはわかりません。
今、動けることに感謝しています。
動けなくなったら、その時に考えようと。
お坊さんのお話はいいものですね。
心安らかになります。
はるる
2017/03/25 21:02
こんにちは〜。
今回素晴らしい法話を読ませていただきましてありがとうございます。
人間としての終わり、いくつもの疑問がありますが私なりに思いますのは人として生まれほんのわずかな時間この世でいろんなことや色んな人たちとの出会いまた苦しみや喜びも全ていい勉強をさせていただけたのだと思います。
私もこの世界からいずれお別れして新たな世界でお会いできることがあると思っております。

最近ですが、八代亜紀さんが歌っている『JAMAAS 真実は二つ』と言う歌を聞いてすごく気に入ってカーチャンと毎日聞いております。
この歌詞のように私達が死んでから皆さんにお礼が言えないのでこの曲をお別れのときに流してほしいと孫達にお願いしております。

いいお箸何度も読ませていただきました、ありがとうございました。
しもじいさん
2017/03/26 11:32
慈園さん、誤変換の文字を沢山書き込んでしまいましてすみません。
しもじいさん
2017/03/26 11:38
こんにちは
ご無沙汰してしまってごめんなさい

貴重なお話 本当にありがとうございます。
私は父の死の間際 三途の川の存在があるように感じました。
父の亡くなった母たちがその川の向う川にいるような気がしました。

悔いなく生きられて感謝できる人生を送ることが出来たらいいな と思っています。
ふりかけ
2017/03/26 13:18
( ◠‿◠ )はるるさんへ

おっしゃる通り、死んだ後のことは誰にも
分かりませんね。
今、生かしていただいていることに感謝すれば
いのちを繋いでくださったご先祖様の存在も
いのちの故郷に還って行くことも、理解できる
のではないでしょうか。
いのちは自分のものであっても自分の思い通りには
出来ませんね。
そこに目の見えない大いなる力の働きがあることも
否めません。
感謝は、この大いなる力の働きに対してであり、私を
生かして下さっている縁ある全てのものということに
なりますね。
動けなくなってもその気持ちだけは大事にしたいですね。

慈園
2017/03/26 18:30
( ◠‿◠ )しもじいさんへ

しもじいさん、ご無沙汰いたしております。
奥さま共々、お変わりなくお過ごしでしたか?
お訪ねいただき嬉しいです。そして
拙い法話を喜んで頂き、見に余る光栄に存じます。

しもじいさんの仰るように、この世では、たかだか
100年のいのち。
その間は、様々な出会いの中で人生を学ばせてもらう
修業の場なのでしょうね。

≫私もこの世界からいずれお別れして新たな世界で
お会いできることがあると思っております。

そう思うと、何もないと考えるより随分心が安らぎますね。

八代亜紀さんの曲、私も是非ぜひ聴いてみたくなりました。
後でネットで調べてみますね

パソコンの変換は私もよく間違えてしまいます。
どうぞお気遣いなきように・・・。
今日はコメントありがとうございました。
慈園
2017/03/26 18:52
慈園さん、すばらしい法話を頂きありがとうございます。
私事ですが、2月28日に義父が亡くなりました。
90歳になろうとしていた義父は自分の死期がわかっていたのだと思います。ひと月前から、全く食べなくなりました。とても安らかで穏やかに臨終を迎えました。もっと、もっと、義父をよろこばせてあげたかったな、、と、思うと、胸がきゅんとします。毎日祭壇に心を込めて供養膳をお供えし(曹洞宗なので)、義父には朝、シャッターを開けては、話しかけ、お膳をお供えしては話しかけ、、と、やっと同居できたような気持ちで、とても幸せです。一緒に住めなかった分、精一杯心を込めてご供養させて頂いています。
「死は終わりではなく、お浄土への通過点、始まりである」と考え、今、自分の
置かれた場所で精一杯努力すること。そして、成すべきことに精根傾けて輝く人生を送ることが大事なこと、、。とのお言葉をかみしめております。そうあれる様、心に留めながら生きていこうと思います。
keikoさん
2017/03/26 19:07
( ◠‿◠ )ふりかけさんへ

ふりかけさん、こんにちわ。
ワンちゃん共々、お元気でしたか?
少し、気になっておりました。

≫私は父の死の間際 三途の川の存在があるように
感じました。
そう感じられたふりかけさん、お父様は安心して
向こうの橋を渡られたのでしょう。
懐かしい方々があちらの世界にいらっしゃる
そう思うだけで私たちは元気に生きていけます。
気持ちが和みますね。
辛いことにも苦しいことにも意味があるように
思う慈園です。それを乗り越えたとき、きっと
深い感謝がわいてきます。
ふりかけさん、丁寧に生きていきましょうね。

慈園
2017/03/26 19:48
( ◠‿◠ )keitanさんへ

お義父さま、旅立たれたのでしたね。
遅ればせながらお悔やみ申し上げます。合掌

keiko先生のお家に落ち着かれましたか。
それはお義父さま安心でしょうね。

≫もっと、もっと、義父をよろこばせてあげたかったな
と、思うと、胸がきゅんとします。

優しいkeiko先生、無理もないと存じます。
いつどこにいても思い出してお話しなさってください。
きっと答えてくださいます。
そして、keiko先生の思う自分の人生をしっかり歩いて
行ってくださいませ。
慈園もお義父さまとともに応援しています。




慈園
2017/03/26 20:17
慈園さん、こんばんは。

ボクは体が小さいことにコンプレックスがありました。
あるとき、親や自分の肉体やその他の環境を選んで生まれてきたという考えに触れ、ではなぜボクの魂はそれを選んだのだろうかと考えました。
それはきっと前世で体が小さい人をバカにしたり、からかったりしたから、今世は小さい体を体験することを選んだのかもしれないと思うと、妙に合点がいきました。

やがてボクも結婚し子どもができて親になったとき、我が子が自分たち親を選んで生まれてきたのかと思うと、姉弟でもまったく性格が違う理由が理解できましたし、こんな親を選んで生まれてきてくれて、ありがとうという気持ちになりました。

ボクもツマも未熟だけど、ちゃんとした親になれるよう努力するよって思えました。

肉体は有限だけど魂は無限って考えると、今世どこまで行けるかわからないけれど、有限な今世のうちに行けるところまで行こうと決めています。

これからは手を抜かずにコツコツと努力を続ける。
すぐに楽をしようとするボクを戒めながら、全力で人生を楽しむ。
そういう者にボクはなりたいと思っています。
ガンバリマス\(^o^)/
koji
2017/03/27 18:28
訪問が遅くなりました。
「死んでいくことの意味」「生きることの意味」
<仏教は死後の教えを説くのではなく、現生を生きる我々にいかに生きるべきかを示す哲学>
浄土の教えは、生きることの尊い意味を考えます。
私の近しい人が、現実の苦しさから逃れるために自分から命を絶ちました。
残されたものの悲しみ、苦しみはあまりにも大きく、長い時を経ても心から消えることはありません。
哲学的な事はわかりませんが、日々精一杯生きて、あの世で彼女に会った時に、こんな話もできたらいいなと思っています。
まきちゃん
2017/03/28 14:00
こんばんは、大変いい話を読ませてもらいありがとうございます。
私も同感です、中々文章で表現出来なかった事を慈園さんはそのものズバリで優しく書かれていて素直に受け取る事が出来ました。私も勉強勉強です。
話は変わりますが私は何度も何度もあるシーンの夢を見ます。
最近その一つのシーンを実際に目のあたりにして驚いています。
私は北海道苫小牧生まれなんですが先日里帰りをして暇な時に母校である小学校を訪ねてみた所、まったく夢と同じシーンを見ることが出来ました。いやー実際にあった場所だったんだと暫く呆然とすごく不思議な気持ちで見詰めておりました。独身時代の20台からずーと見てきた場面だったので驚きでした。もうひとつあるのですがそれを実際見たらどうなるんだろう・・・ひょっとしたらその時は死ぬ時ではないんだろうかと想像してしまいます(笑)。結構人間って不思議な生き物なんですよね・・・胸騒ぎが現実になるとか・・・すいませんわけの分かんない話で・・・(笑)。
心臓
2017/03/28 22:24
( ◠‿◠ )kojiさんへ

こんにちわ〜 kojiさん。
コメ返が遅くなり申し訳ありません。

身体のコンプレックスは少なからず誰にでもあると
思いますが、文面からお察しするに、子供心にも
随分悩まれ、辛い思いをされたかと拝察いたします。
さもなくば、このような深い思索に入れないのではと
頭が下がります。
そして、koji家の温かい家族愛に納得いたしました。

私も小学校の頃、自分に責任のない「出自」のことで
差別される、いじめを経験しました。
その時、史実の書物に触れ、学識者や宗教者の「いのちは
平等」の真実を確信したのです。
その体験があったからこそ、今に至っているという自負も
生まれました。


人間の「生き方」は、つまりは「死に方」に通じます。
仏教で云う「生死一如」ですね。
誰にでも訪れる「死」、それを迎えるkojiさんの心の
姿勢を、今日はブログ記事の中に読み取ることが出来
ました。

おっしゃる様に、諦めず、肩張らず、手を抜かず(笑)
コツコツ努力しながら、今、この一瞬を楽しみ
ガンバリましょう

コメント有難うございました。
慈園
2017/03/29 14:43
( ◠‿◠ )まきちゃんさんへ

おいでいただき有難うございます。
まきちゃんさんの身の回りでそのような悲しい出来事が
あったのですね。
おっしゃる様に残された者は、「何故あの時」と、生涯
消えることのない思いを抱いて生きて行かねばなりません。
ご事情があったにせよ、深い罪ですね。
有縁の人々は、その悲しみに触れて「生きることの意味」
「いのちの重さ」を考えます。
それがまさしく、仏さまからのメッセージです。
葬式、四十九日、一周忌と仏事をこなしながら
私たちは、いのちの不思議、み仏の伝えたい事に
触れ、心を育てて行くのです。
今のご時世は、その儀式すら曖昧に済ませようと
する人が多くて、自分の往く道に迷っています。
まきちゃんさん、人生色々ありますが、全て受
とめて頑張りましょうね。
いつもコメント有難うございます。



慈園
2017/03/29 17:28
( ◠‿◠ )心臓さんへ

心臓さん、今回も記事を読んでいただき
嬉しく思います

何回か夢に見た場所を訪れることって
意外と多いと聞いています。

人間の意識には潜在意識の中に「アラヤ識」
「マナ識」という層があり(「唯識仏教」と
言う学問による)、「マナ識」は自分(自我)
の核になる心。外界の五感の刺激を受けて
無意識に煩悩に振り回されている自分です。
「アラヤ識」は自分と他人の区別のない
「光の領域」ですが、ここには私たちのあらゆる
経験が蓄積されています。
つまり、そこをさらに深く入れば、「人類の
記憶」「いのちの記憶」「宇宙の記憶」が過去
現在・未来の区別なく溶け込んでいる「光の世界」
ということになるのだそうです。

≫もうひとつあるのですがそれを実際見たら
どうなるんだろう・・・ひょっとしたらその時は
死ぬ時ではないんだろうかと想像してしまいます(笑)。

これは不吉なシーンという意味でしょうか?
生きている時しか夢は見ないもの。
その時はその時です(笑)

実は、私も「息が止まるってこういうシーン
なんだろうか?」と思える夢で目が覚めることが
時々あります。それはいつも同じ夢です。
でも、こういうことって、気にしても仕方がない
ことなのでヶ・セㇻセㇻの心境です(笑)

いのちって本当に不思議。
大丈夫。いずれ全てが分かる時が来ます(笑)
余り気にしないで過ごしましょう。


慈園
2017/03/29 20:27
ブログという
このページの一枚に
なんと深い内容だと
フッと
鬼の目にも涙ぐみそうになるでは
ないですか...不覚ですわ(マズイデスワ)

この世を去る
それは怖いものではなく待ち遠しいもの
それに比べて仰るように
「この世で成すべきことに
精根傾けて輝く人生を送る..」
なんと難儀な事でしょう。
あまりに広い深い内容をさらりと説かれる
慈園さんに感謝致します。
asakun
2017/04/13 12:28
( ◠‿◠ )asakunさんへ

asakunさん、こちらに来て下さったのですね。
有難うございます。

asakunさんが深いと言って下さるのは
asakunさん自身の思いが深いということだと
思います。
書き手冥利に尽きるのでございます(感謝)

この世を生きることは、本当におっしゃる通り
難儀なことです。
(釈尊もそのようにおっしゃっておられます)
それを昇華しなければ輝く人生といえないから
ただ、日々成すべきことをするのみなのですわ。
特別なことではないので、「だ・い・じょう・ぶ」
慈園
2017/04/13 17:16

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慈園の一言法話「人は死んだらお終いか」 慈園(jion)の微笑み日記 /BIGLOBEウェブリブログ
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